1823年のエピソードは、ラグビー校の広報戦略?

昨日の8月24日はラグビーの日──ということで、例のウェブ・エリス少年の件がタイムラインを何度も流れていきました。エリス少年がフットボールの試合中、ボールを持って走り出したのがラグビーの始まり、という”伝説”です。

ラグビーの日に水をさすつもりはありませんが、with Rugbyという看板を出している以上、客観的な評価は抑えておかなければなりません。下記の『ラグビーマガジン』新旧編集長による対談記事を読むと、エリス少年の逸話は、後年になってだいぶ盛られた話だったらしいことが分かります。

ラグビーの起源は「サッカーの試合中にボールを持って走った」ではなかった!
2019年9月20日。『ラグビーワールドカップ2019™日本大会』が開幕する。本コラムでは日本でもアジア地域としても初開催となる『ラグビーワールドカップ2019™日本大会』が一部のファンに留まることなく、一人でも多くの読者に興味を抱いていただけるようラグビーの魅力を伝えていきたい。

手元にある『フットボールの社会史』を調べてみても、このエピソードが紹介されてはいるのですが「正確な情況が判明しているのは、それにもまして異例だと言える位である」と、著者は書いています。ラグビー校関連の資料ではその前後数十年の単位でフットボールに関する確たる資料がないことから、その唐突な具体性を皮肉っているものと思われます。

(ところで『フットボールの社会史』は、1985年に岩波書店から刊行された翻訳書で、原著は1938年に出されたもの。中世以前から近代までの「フットボール」の歴史書で、フットボールがサッカー、ラグビー、そしてアメリカンフットボールやオーストラリアンフットボールなどに分化していくさまを著した名作です。長らく絶版になっていたようですが、2019年に復刊したと、今回資料をあたっていくなかで知りました。この本についてはまた改めて紹介してみたいと思います)

エリス少年がラグビー校に実際に在籍していたことは事実のようです(その後、聖職者として活躍)。またこのラグビー校というパブリックスクール(Rugby School)で行われたフットボールが、その後のラグビーの原形となったことも事実です。けれども調べてみると、この1923年のエリス少年の出来事についてはほとんどエビデンスがなく、文書として残っているのは、1876年に書かれたものだというのです。実に53年後の文書です。

ラグビー校の広報戦略?

ここからはぼくの勝手な想像です。
フットボール協会(FIFA=その後、国際サッカー連盟と呼ばれる)ができたのが1863年。
ラグビー協会(ユニオン)ができたのが1871年。
それぞれ統括団体ができると、ルールの整備が進むでしょうし、それとともに普及活動のことも考えるでしょうし、また歴史的な経緯も整理しておきましょうとなるのではないでしょうか。

そこでラグビーフットボールとしては、というよりラグビー校としては、ラグビー発祥のパブリックスクールとして、なにか語り継がれるような「物語」を持ちたかった──という動機は十分に考えられます。

ボールを手に持って前に走るというラグビーが生まれた経緯として「なんとなくそうなった」よりも「○年に、試合に出ていてひとりのプレーヤーが、突然ルールを破ってボールを持って走り出した」というストーリーがあったほうが、「つかみ」として強力です。

現に、それから150年経って始まったワールドカップの優勝トロフィーはエリスカップと呼ばれていますし、2020年の日本で、エリス少年のエピソードがこうして再生産されているわけですから。この当時に広報とかマーケティングという概念があったかどうか分かりませんが、誰かそういうことに長けたセンスを持った人がいたのでは、と想像してしまうのです。

そういえば、これまで考えたことがなかったのですが、ラグビー校にルーツがあるとはいえ、競技種目の名前が「ラグビーフットボール」となった経緯って、どこかに資料があるのでしょうか。日本でいったらワセダフットボールとかケイオウフットボールとかメイジフットボールが競技名になるようなものではないですか。

ひと足先に設立された(その後、サッカーと呼ばれるようになる)フットボールの統括団体がFootball Associationであるなら、ラグビーのほうはFootball Unionとなっていてもおかしくはない、という考え方もあるのでは。

ネーミングライツの概念などない時代ゆえ、そのへんはおおらかだったのでしょうか‥‥。

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