海外のコーチングの知見をそのままもってきても、うまくいかない事例のひとつがこれ

先日書いた、『子どもにとって「選択する自由」が大切なら、スポーツの現場こそ「選択させる環境」を提供しやすいのでは』の中に出てくるコロンビア大学ビジネススクールのシーナ・アイエンガー教授について少し調べたら、興味深い話が出てきました。

「TED」のステージで、やはり選択についてアイエンガー教授が講演した内容がyoutubeに公開されていたので視聴してみました(日本語の字幕もあります)。
私が興味を引かれたのは、アメリカ人の選択と日本人の選択には違いがあるという話です。なにかを選択するときには、文化的な背景も影響してくる。そして、ときにはそれが(たとえば日本人の場合は)、個人の自由意志よりも大きく作用することがあるというのです。

まず冒頭に、教授が京都に住み始めたときのエピソードが紹介されます。喫茶店に入り、緑茶と砂糖を注文する教授に対して、緑茶には砂糖を入れませんと、店員が答える。教授は重ねて、日本では緑茶に砂糖を入れないことは知っているが、自分は甘くして飲みたいので、と砂糖を求めます。彼女の研究テーマは選択なので、研究者としての知的好奇心もあったのでしょう。そして店員が店長らしき人物と相談し、最終的な回答が、当店では砂糖を置いていません、というものだったと。

仕方がないので彼女は緑茶をあきらめ、改めてコーヒーを注文します。するとコーヒーには、砂糖のパッケージが2つ添えられて出てきたというオチです。会場からは笑いが起きます。教授は、店の人は無知なガイジンに対して、正しい緑茶の飲み方を指導する一方、なんとかこの客のメンツを保つやりかたがないかと知恵をしぼった結果、当店では砂糖を置いていません、という回答になったのではないかと解説をしていました。
(ちなみにこのエピソードはざっと25年ほど前のこと。今の時代なら、インバウンドで京都には外国から多くの人が訪れるようになっていますので、店員さんの対応は異なっていたかもしれませんね)

緑茶に砂糖はレアかもしれないが、麦茶に砂糖を入れる人はいる

自分も、緑茶に砂糖を入れたことなどないし、考えたこともないので、そもそも選択肢に上がってこなかった。けれども、こういうエピソードを聞いて、改めて考えると、別にそういう人がいてもおかしくはない、と思えてきます。緑茶をいただきながら羊羹食べるのは普通なので、砂糖もありかと。

テレビのバラエティなどでたびたび出てくる「麦茶に砂糖を入れるのは、ありかなしか」論争。麦茶に砂糖を入れるなら、緑茶に入れるのもありかと思えてきます。

このように、無意識に選択肢を狭めてしまっている、ということがあるわけです。前回の記事でスポーツのコーチングでも「考えて選択させる環境を提供」することについて書きましたが、こういったことも留意する必要があるのかと思います。

「ママの言う通りにしたって、ママに伝えてくれる?」

さて、もうひとつアイエンガー教授の実験をご紹介したいと思います。

実験は、サンフランスコの日本人街で、7〜9歳の白人系アメリカ人とアジア系アメリカ人(日本人街ということなので、端的にいえば日本の子どもたちだと思われます)を研究所に呼び、3グループに分けて、文字並べ替えパズルに取り組ませることで行われました。

①第1のグループは、ミス・スミスが同席するなか、6つの文字並べ替えパズル、それを解くための6色のマーカーペンから、それぞれ好きなものを選んでパズルを解きます。
②第2のグループは、ミス・スミスが、どのパズルを解くか、そしてどの色のマーカーを使うかをも指示します。つまり子どもたちはパズルを選べない。
③第3のグループは、ミス・スミスが同席するなか、それぞれの母親が、どのパズルか、そしてどの色のマーカーを使うかを指示します。このグループも子どもたちはパズルを選べない。

結果はどうかというと白人系では、パズルを自由に選んだ第1のグループが、他よりも2.5倍の量のパズルをこなすことができた。そして対照的に、アジア系アメリカ人の子どもたちは、第1のグループよりも第3のグループ、つまり母親が選んだパズルを解いた子どもたちが最も成績がよかったというのです。

日本人の子どもたちは、自分でパズルを選んだときより、母親にパズルを選んでもらったほうが、意欲的に取り組むことができたわけです。自分で選択する自由よりも、母親に選んでもらう安心感が勝ったとでもいえばいいのでしょうか──。
「なつみ」という女の子は、終わって別れ際にミス・スミスの元に駆けより「ママの言う通りにしたって、ママに伝えてくれる?」と言ったそうですが、このことがすべてを象徴していますね。

スポーツのコーチングでは「子どもに判断させる、選択させるという環境が重要ではないか」ということを前回書きましたが、海外のコーチングの知見を、日本のスポーツの現場にそのまま持ち込んでも、うまくいかない場合が少なからずある、まさにその一例がこれ、という話でした。

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